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《願い裏腹にちから 奪い取られても》
この1行だけなら単純にイップスに陥っていく描写だけど、文脈を見ると少し印象が変わる。
《友情あればこそ 今 本気で勝ちたい
願い裏腹にちから 奪い取られても》
《本気で勝ちたい》と願う精神力としての《ちから》ごと《奪い取られて》いるようにも見える。勝つ力よりも、勝ちたいと願う力が萎えていく描写。
過去の戦績や数値データ上ではそこまで極端に実力の差があるわけではないのに勝てないのはなぜか、という考察・分析をいくつか読んで、どれも納得できる内容だったんだけど…
あの二人の場合は他の何より根本的かつ絶対的な理由として、【屈強な男が綺麗な美少年に敵わず絶対服従している、という構図が気持ちいいことを描き手も読み手も知っているから】というのがあるだろう、とも思う。その快楽/欲望に強く駆動されている。
ものすごく強くて敵わないのに全然“男らしく”なくて綺麗でかわいい、なんて子が幼い頃からそばにいたら、この子には勝たないほうがいいのかも…という気持ちになるのもわかる気がする。かわいいのに強い、俺よりずっと男らしくないのに俺よりずっと強い、で認知的エラーが起こる。だから自分の価値観や道徳律の埒外にある特別な存在とするほうが、本気で競い合って負けるより心理的な負荷が小さい。昇華と合理化が同時に起こってしまう。
そしてそういう関係が長く続くほど、「勝ったら関係が変わってしまう」「勝てない自分でいるほうがこの関係を維持できる」という無意識の計算も働くようになる。もしかしたらお互いにそうかもしれない。だけどそのまま何も言わずにいると、今度はその沈黙が長く続くほど、二人の間に見えない溝が広がっていく。
《絶望さえ 君は打ち砕いたのかい?
恐怖を抱いた 自分にももう余裕はない》
このシーンを原作で読んだとき、《恐怖を抱いた》以上に、《自分の眼を疑った》という表現が印象的だった。いずれにせよ、作中でそう頻繁には使われない三人称ナレーションの形で入れていること自体、「本人は自覚していないかもしれない無意識的な感情」を“わざわざ”描き込みたかったんだな、という印象。
「目を疑う」は、実際に見ても信じられないほど驚くこと。恐怖を抱いた自分自身が信じられなくなるくらい、それは想定外の事態だったということ。10(11?)年間の関係のなかで一度も経験したことのなかった綻びが今初めて見えたから、と解釈すると腑に落ちる。
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少年漫画で男同士だから露骨には描かれないけど、外見的な美しさが人間関係に影響を及ぼさないなんてことは絶対にありえないわけで。アニメ版で初対面(?)の瞬間に笑いかけられて真っ赤になって照れる描写は原作より正直に感じた。