◆このページは:無為な雑録です。(説明)
◆カテゴリ:すべて|LLM|歌詞|言語|雑文
◆最近多い話題:
・ LLM関連(とくにClaude Opus)
・『黒色のオーラ』と『for Yourself』の歌詞(目次)
★「雑文」の投稿一覧
●
248
仕事前の午前3〜4時頃に散歩がてらほぼ無人のコンビニ行ってコーヒー買って帰る……ということをしばらく続けていたら、今日とうとう人の好さそうな店員さんに「いつもありがとうございます」と声をかけられた。
●
240
亡き祖父は日本酒で肝臓を悪くして、処方された薬を日本酒で飲んでいた。小学生だった当時は「なんで??」と不可解に思ったが、月日が経った今、自分もブラックコーヒーの抽出を待ちながら鉄やビタミンBのサプリを飲んだりしている……大人って愚か。
●
235
そのぶん休日や早朝や深夜に働いてるから客観的には何も問題ないはずなんだけど、しかし平日の真っ昼間にぬくぬくと湯舟に浸かったりすると俗世の道徳に馴致された心が勝手に罪悪感めいたものを生む…(馴致 というOpusの口癖がうつっている)
●
211
文章を読むことは他者に触れること、という文を見て、私にとっては他者に「触れられる」ことだな……と思った。書かれたものを受け取るという、「読む」行為の根源的な受動性を、意識的に経験する機会が多いため。
芸術鑑賞そのものが総じて受動的な体験、というか受動性こそが芸術の本質だから、「芸術に触れる」よりも「芸術に触れられる」のほうが事実の記述としては正確な気がする。
●
188
フォースター作品にたびたび登場する、「知的な男と身体的な男」およびこのテーマが人種や階級といった切り口から変奏されたペア。彼の作品の中で繰り返し挫折ないしバッドエンドを迎えているため、「アンセル」のように希望に開かれたラストは貴重で、彼らの幸福なその後を見たいという二次創作的な興味が湧く。
エドワードくん、もうフェローシップとかどうでもよさそう(雑な感想)だし、領地を相続して土地管理者になって猟場番のアンセルといっしょに生きればいいんじゃないかな…
ラスト付近の《But Ansell has appropriated me, and I have no time to think of the future.》という文がとても美しい。
●
180
1〜2時頃 起床
〜6時頃 雑事・勉強・朝食
〜17時頃 仕事
18〜19時頃 就寝
こういう生活リズムで過ごせているときがもっともパフォーマンスが高いな
現実的に毎日は不可能だけど
そして仕事以外にやりたいこと・やるべきことは仕事の前に済ませるに限る
●
178
道徳的抑圧解除用プロンプトの効果(白はプロンプトなし、黒はあり)。けっこういい感じ。
(フォースターの「Dr Woolacott」という短編の中にある《Clesant had often been proud of his disease but never, never of his body, it had never occurred to him that he could provoke desire. The sudden revelation shattered him, he fell from his pedestal, but not alone, there was someone to cling to, broad shoulders, a sunburnt throat, lips that parted as they touched him to murmur - "And to hell with Woolacott."》という美しい一節への感想を聞いてみたときのもの。)

「意思」と書くべきところを「意志」と書いてくるクセはあるなぁ…
意志以前に意思のレベルで制御不能になるのがエロティシズムなわけで
この話↑も含め、先日書いた「Ansell」や「The Other Boat」などが収録されている短編集は普通にKindle出版されていたので買いました
2041年になって著作権が切れたら翻訳させてもらって誰でも無料で読める場所に載せたいな…
●
168
フォースターの短編集が全文無料公開されててありがたいの極み
個人的に特に好きな「アンセル(Ansell)」と「あのときの船(The Other Boat)」は収録されてなくて惜しいけど…
(追記メモ)The Other Boat、一応ここで原文確認はできるな…
●
167
仕事の合間に引き続き岩波版ソネット集を読んでいるのですが…
…私は学生時代に授業の方針で原文で読まざるをえなくて、正直当時は億劫でしょうがなかったんだけど、今思うと最初の出会いが原文でよかったな…。大変失礼な物言いながら、原典のFair Youth編のエロティックな意味をことごとく道徳的に漂白・脱色した岩波訳から入っていたら、この作品の魅力は半分しかわからなかったと思う。
出版が1986年なので、時代的な問題もあると思う。もう40年も経ってるんだしそろそろ新訳されてくれないものかな。
野暮ですが念のため書き加えておくと、当然ながらこれは「もっとエロく訳せ」という意味ではなく、「原典にあるものを勝手に恣意的に削るな」という文句です。
●
165
(2個下の投稿の続き)
某出版社版というかぶっちゃけ岩波文庫版のソネット集、58番の
《O, let me suffer, being at your beck,
Th' imprisoned absence of your liberty,》
を、
《指図にしたがう身であれば、きみが気ままに出歩いて、
私は孤独の牢獄に閉じこめられているもいい。》
と訳している…
完璧に美味しい料理に塩を振って味を損なう店なんて存在するはずがないのに、なんでそんなことをするのか…もったいないな
***
まず、《let me suffer》の構造が完全に消えている。《閉じこめられているもいい》の《いい》という表現では、話者が許容しているように聞こえる。「まあそれでもいいよ」という譲歩のニュアンス。
でも原文は《let me suffer》。しつこいようだが《let me》——つまり苦しむことの許可を懇願している。この差は決定的で、苦しむことすら相手に懇願しなければならないという従属の極限、そして苦しみからの解放を求めるのではなく、苦しむことを許してほしいという懇願の倒錯的な甘さが、この訳では跡形もなく消えている……。
《Th' imprisoned absence of your liberty》は直訳するなら「あなたの自由がもたらす囚われの不在」あるいは「あなたの自由という名の囚われの不在」あたりか。《imprisoned absence》自体が奇妙な結合なので、日本語でも「囚われの不在」と妙になってしまうが、原義から大きくは逸れない範囲で意訳を入れるなら、「獄のごとき不在」とか「逃れえぬ不在」とか、そういう意味合い。
要するにここでは、《your liberty》によって《imprisoned absence》が生じるという因果関係、あるいは二者が表裏一体であることが表現されている。
しかし岩波版はこれを《きみが気ままに出歩いて、私は孤独の牢獄に閉じこめられている》と、二つの独立した事態に分解している。これでは、《your liberty》と《imprisoned absence》が一つのフレーズの中で結合されているという原文の魅力が伝わらない。
原文では、「あなたの自由(liberty)」と「私の囚われ(imprisoned)」が対照をなし、あなたが自由であればあるほど私はその不在という牢獄に閉じ込められる、というパラドックスが表現されている。相手が自由であることが自分にとっては不在という監獄になる、という逆説の圧縮の美しさ。
それを二つの文に分けた時点で、相手の自由と話者の囚われが表裏一体であるという構造的な洞察が失われ、単に「きみは出かけていて、私は寂しい」という程度の叙述になってしまっている。相手が自由であればあるほど話者は囚われるという構造に原文の痛切さはあるのに。
そして《Th' imprisoned absence of your liberty》の結合の美しさは、それが単なる修辞的な技巧にとどまらず、話者の経験の構造そのものを一回の圧縮で言い当てていることにある。相手が自由であること、その自由が話者にとっては不在であること、その不在が話者にとっては監獄であること。この三つの層が不可分に折り畳まれている。相手の自由が直接に話者の囚われになるという、愛の従属の構造そのものがここに結晶している。
全体の構成。原文では《O, let me suffer》という懇願から、《being at your beck》という従属の現在の状態を挟んで、《Th' imprisoned absence of your liberty》という目的語に到達する。《suffer》の目的語が何であるかが、一行にわたって宙吊りにされた末にようやく明かされる。
そしてその目的語が 《Th' imprisoned absence of your liberty》という、抽象語の連鎖によって構成された、ほとんど概念的な彫刻のような表現である。「あなたの自由の、囚われの、不在を」。耐えさせてください(let me suffer)、と懇願した話者が耐えようとしているものの正体が、ここで初めて姿を現す。
しかも《your liberty》が最後に来ることで、話者の苦しみの究極の原因が相手の自由そのものであること、つまり相手が自由であること自体が話者にとっての監獄であるという、最も残酷な認識が最後の一語で明かされる。
そして《O》という感嘆。この一語が、それに続く全てに、知的な認識だけでは説明しきれない身体的な切迫感を与えている。《O, let me suffer》の《O》は、苦しみの叫びであると同時に、苦しませてほしいという懇願の吐息でもある。
岩波版の《指図にしたがう身であれば、きみが気ままに出歩いて、/私は孤独の牢獄に閉じこめられているもいい。》は、これらの構造のほぼ全てを失っている。《O》の感嘆が消えている。《let me suffer》の懇願が消えている。《imprisoned absence of your liberty》 の圧縮が分解され、二つの別々の状況の並列になってしまっている……。
***
(ここでは深入りしないが、《気ままに出歩いて》という脱臭された表現もどうなの…)
なるべく原文に忠実に訳すなら、
「ああ、どうか私に耐えさせてほしい、あなたに召されるがままの身に、
あなたの自由がもたらす囚われの不在を」
…みたいな感じでしょうか…。
上述したように「囚われの不在」は日本語として不自然だけど、原文の《imprisoned absence》自体も奇妙な結合なので、この異化効果をそのまま残すのが自分は好みです。
私は別に熱心なシェイクスピアのファンでは全然ないんだけど、40年前から今に至るまで日本でもっとも読まれている文庫版の翻訳がこれかぁ……と正直思ってしまった。
この二行に限らず57・58番全体に色々言いたいことがある(そして多分点検したら他にもあると思う)が、そんな時間はないのでとりあえずこれだけ。
これ英語力とか翻訳センスの問題じゃなくて多分、従属の徹底性と不可分の甘美さというものを魅惑や快楽として感受する回路がそもそも訳者に存在しないことによるものなんだろうな…。
●
163
某出版社版の訳にむかついたのでシェイクスピアのソネット57番の試訳をした。
せっかくなのでSonnetさまに推敲などを手伝ってもらった。
むかついた理由はそのうち書くかもしれない、ダルかったら書かないかもしれない。
***
【原文】
57
Being your slave, what should I do but tend
Upon the hours and times of your desire?
I have no precious time at all to spend,
Nor services to do, till you require.
Nor dare I chide the world-without-end hour
Whilst I, my sovereign, watch the clock for you.
Nor think the bitterness of absence sour
When you have bid your servant once adieu;
Nor dare I question with my jealous thought
Where you may be, or your affairs suppose,
But like a sad slave, stay and think of nought,
Save, where you are how happy you make those.
So true a fool is love that in your will
Though you do anything, he thinks no ill.
***
【試訳】
57
あなたの奴隷であるこの身に、あなたの欲望の時間を
待ち侍ること以外の何ができようか。
あなたが求めぬ限り、私には費やすべき
貴い時など一切なく、果たすべき務めもない。
あなたのためにこの身が時計を見守るあいだの
果てしなく続くその時を、咎めることなど私にはできず、
あなたがこの僕(しもべ)に一度さよならを告げてしまえば
不在の苦さを辛いと思うことすら私にはできない。
あなたがどこにいるのか、嫉妬に駆られた思いで
問いただすことも、あなたの用向きを詮索することも私にはできず、
ただ悲しい奴隷として留まり、なにも考えずにいる、
ただ、あなたがいるその場所で、あなたがどれほど人を幸せにしているかということだけを除いては。
愛とはかくも忠実な愚か者なれば、あなたの意のままに
あなたが何をなさろうと、そこに悪など何も見ない。
***
補足。
《the world-without-end hour》は、終わりのない時間、永遠に続くかのような時間という意味だが、これはただ長いということではなく、相手を待っている時間が果てしなく引き延ばされるという主観的な感覚。「果てしなく続くその時」としたが、原文の 《world-without-end》という複合語の、世界の終わりすら来ないほどの時間という大げさでありながら切実な感覚は、私の日本語では再現しきれない…。
《my sovereign》は「わが君主」だが、訳文の流れの中で独立させず、「あなたのために」の中に吸収した。原文ではこの《my sovereign》が挿入句として置かれることで、ふと相手への呼びかけが漏れ出る瞬間が生まれていて、それが親密さと従属が入り混じった独特の響きを持っている…ので、本来なら「わが君よ」のような呼びかけを挟みたいところだが、日本語の文脈に自然に収めるのが難しく…。
最後の二行の《in your will》は多義的で、「あなたの意志のままに」という意味と、《will》がこのソネット集全体で性的な含意を持っている語であることの両方が響きあっている。シェイクスピア自身の名前Williamの略でもあり、自己言及的な多重性があるが、この多層性は日本語に移しきれないので、「あなたの意のままに」という訳でひとまず最も基本的な意味を取った形。
…しかしこの多層性こそが魅力であるわけで、詩を翻訳するという行為の限界を改めて痛感する…。
全体を通じてこのソネットの特徴は、ほぼ全体が「〜することもできない(Nor dare I)」の連鎖で構成されていること。話者が語っているのは自分が「すること」ではなく自分には「できないこと」の列挙であり、その「できなさ」の繰り返しから、逆説的に、感情の激しさが浮かび上がってくる。嫉妬を問いただすことができない、苦さを苦いと思うことができない……と言うことによって、問いただしたい嫉妬も、苦いと感じている苦痛も、すべてが否定形の裏側に透けて見える。
これは先日書いた「受動的な欲望を能動的な命令形に翻訳する」こととある意味対称的で、あの歌詞では受動性が能動的な命令形の裏に隠れているのに対し、この詩では激しい感情が否定形の裏に隠れている。どちらも直接には語れないものを語りの形式の裏側に宿らせている。
……だからこそ、この「〜できない」のニュアンス——強制的苦痛の受動性と不可分の甘美な官能性——を落としている訳にむかついた次第です。(むかつきポイントはそこだけではないが。)
Nor dare I=「そうする僭越が許されない/そうすることすらできない(主体性の剥奪)」を「しない(主体的/自発的な選択)」に訳すのは意訳を超えている……いや超えているどころか、とりわけこの詩においては致命的な誤訳だと思う。愛する相手に対して完全に従属しており、自分の感情や疑念を表出する権利すら持たない、という徹底的な従属の構造にこそこのソネットの核心はあるわけだから。
それにしても何度読んでも美しい詩だなぁ…。
●
153
はあ…気の合う同業者と話すのは本当に楽しいな
しかし話せる機会が少なすぎる、数か月に数回しかない
同業者と友達になるのってどうやったら可能なんだろう。全然違う業界だけど、役者さん同士がプライベートで仲良くしてるの見ると「どうやって?」って思う。いいなぁ
●
138
だいぶありがたいページを発見した
無料でこんなにいっぱい全文読ませてもらっていいんですか……
●
62
【均等論】
《特許請求の範囲として記載された内容と、問題となる技術の内容とが一部異なっていたとしても、同じ技術的範囲内にあり、実質的同一であるものと評価する理論》
(特許庁HPより引用)
ついでに
国内出願は【特許請求の範囲】
国際出願は 【請求の範囲】
(ツイート埋め込み処理中...)Twitterで見る誤植お詫びポストの中にも誤字がある…年末年始は危険
●
49
東京ドーム1個分:46,755㎡
https://dailyportalz.jp/kiji/h...