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《栄光がこぼれ落ちて 光が消え去る間際に
 神に捧げるのだ 全力を》

《光が消え去る間際》は、光はまだ消えていないが、これから消えることが確定している表現。
原作の真田が跡部の試合を見ながら呟いていた、《負けというゴールに向かっていく試合を奴は戦っているのだ(9巻p.27)》というセリフを思い出す。これは《負けというゴールに向かっていく試合》——まだ負けていないが、これから負けることが確定している試合——を経験したことがある人の言葉だろう。(余談として、「負けというゴール」はこの回〈79話〉のサブタイトルにもなっている。)

地味ながら決定的に重要なのは、この試合で実際には跡部は負けなかったという事実。つまり、《負けというゴールに向かっていく試合》は、客観的な試合の分析としては誤りである。にもかかわらずわざわざそれを真田に言わせ、サブタイトルにまで据えている。この言葉は読者に試合の分析を示すものではなく、真田の認識の枠組みを示すものだろう。

《栄光がこぼれ落ちて 光が消え去る間際に/神に捧げるのだ 全力を》——これは《負けというゴールに向かっていく試合》の中での行為の記述として、少なくとも矛盾なく対応している。《光が消え去る》ことは確定している、《栄光》はすでに《こぼれ落ちて》いる、その中で「全力を捧げる」というゴールへ向かう。

神に捧げるのだ、《全力を》——勝てるかもしれない状況での全力と、負けが確定している状況での全力は、質が異なる。後者における全力は、結果を変えるための手段ではなく、それ自体が目的であり意味である。「捧げる」という語はまさにそれを表現するのに適している。捧げ物は、何かを得るための手段ではなく、捧げる行為そのものに価値がある。

勝てないという現実の中で残された行為が《捧げる》——もはや勝利のためではなく、ただ全力を捧げるという行為そのものの価値へと移行している。勝利を目指す戦いから、奉献としての戦いへ。


ここでさらに思い出されるのが、「STRENGTH」での作者コメント。

(全国前の時点で、真田がより「勝ちたい」と思っていたのは幸村と手塚のどちら?という読者の質問に対して)
《手塚です。幸村とは幼少からライバルとして切磋琢磨していて、いつしか勝たない方が良いとさえ思い始めました。彼が病気で倒れてからは自分が強くなることで幸村の強さを守ろうとしてました。》

二文目と三文目の間には、脈絡が欠けている。

質問が聞いているのは「どちらにより勝ちたいか」という二択で、二文目まではその質問に答えている。「手塚の方に勝ちたい(二択の答え)、なぜなら幸村には勝たない方が良いと思っているから(その理由)」。

三文目の《彼が病気で倒れてからは自分が強くなることで幸村の強さを守ろうとしてました》——これは「どちらに勝ちたいか」への回答ではない。「勝ちたくない理由」の補足ですらない。「勝たない方が良い」の理由は二文目で説明済み——幼少からの関係があるから。
三文目は、質問されていない情報を付け足している。「勝ちたいかどうか」の話をしていたのに、なぜか「真田が幸村に対して何をしていたか」の話に移っている。

「勝たない方が良い」と、「自分が強くなることで相手の強さを守る」が、どうして並置されるのか。一見すると脈絡がないが、わざわざ後者が三文目として付け足されている以上、そこには論理のつながりがあると考える方が自然である。

 とすると、「勝たない方が良い」と「自分が強くなることで相手の強さを守る」は、同じ感情(動機)の二つの面としてつながっていると考えられる。ここで考えられる「同じ感情(動機)」とは、「勝たない方が良いのは、自分が強くなることで相手の強さの基準を高く保つ」というもの。つまり、【強くなった自分が相手に負けることで、相手の強さの価値を証明できる。だから勝たない方が良い】というロジックではないか。  
 
勝たない方が良いのは、単に関係を壊したくないからではなく、自分が強くなることで相手の強さの基準を高く保つという積極的な動機によるもの。勝たないことが消極的な回避ではなく、能動的な献身であることを作者は示したかった…という読み。


仮にこの構造が正しいなら、ここでの強さの追求は相手に勝つためのものではなく、相手に負けることの価値を高めるためのもの。強くなって勝つためではなく、強くなって負けるための。

勝ちたくないが、弱くもない。むしろ強くなりたい。しかしその強さは相手を倒すためではなく、相手の強さを支えるために使われる。より強い自分を差し出すことで、相手の強さをより高く証明する。

…これは《神に捧げるのだ 全力を》の構造そのもの。勝利のためではなく、勝てないことがわかった上での、奉納としての全力。作者コメントはこれを「守る」の一語で表現している……のかもしれない。

どれほど強い全力であっても、「捧げ物」である限り、それは自分の力を相手の足元に置く行為であって、相手を打倒する行為ではない。だから負ける。その力が「捧げる」という志向を帯びている限り、相手を倒す力にはならない。



…みたいな構造が読み取れてしまうからこそ、《友情あればこそ 今 本気で勝ちたい》という、少年漫画的に100点満点の王道であるはずのフレーズがむしろ違和感をもって聴こえるわけです。
前に書いた「家臣なら主君に勝つ必要はない」という比喩も同じことで、家臣の強さは主君の威光を守り高めるためのもの。部長と副部長の関係は本来これとは違うはずだけど、「副部長の自分が強くあることで、(病中不在の)部長の強さを守る」というロジックはまさに「主君の威光を守るための家臣の強さ」。


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