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(追記・補足)幸村のセリフの屈折を前景化させるために真田の方を「きわめて直接的かつ未来志向」と整理してしまったが、彼の言葉ももちろんただ単線的なものではない。試合において相手に遠慮をしないのは彼にとって本来は意識するまでもなく当然の前提のはずであり、《遠慮はせんぞ》なんてことをわざわざ宣言してしまっているところに屈託が響く。(追記ここまで)
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歌詞そのものの話からは離れるが…
歌詞の《遠慮とか容赦なんかは 必要ないだろ?》を読むための土台として整理してみる。
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原作・アニメ版に共通の、試合前のやりとり
(*原作ではこの一往復だけで丸1ページが割かれている):
《遠慮はせんぞ、幸村》
《遠慮したことないだろ、真田は》
この応酬は一見すると単なる試合前の軽口のようだが、よく読むと込み入っている。二人が同じ位置に立っていないことが、文法と語用の水準で刻まれている。
まず、真田の発話はきわめて直接的かつ未来志向で、《遠慮はせんぞ》は自分の意志の宣言である。「俺」が省略されていても主語は明白であり、発話はパフォーマティヴに働いている——今ここで、相手に向けて、自分の姿勢を言葉によって確定させる。しかも呼格の《幸村》が文末に置かれることで、その宣言は明確に目の前の相手へと差し向けられる。「おまえに対して俺は遠慮しない」という、正面からの申し出。
ところが幸村の応答は全く異なる形式を取っている。彼の言葉は自分の意志の表明ではなく、相手についての認識の表明である。また時制的にも、未来の誓約ではなく過去から現在にわたる性質の確認になっている。「しない」ではなく《したことない》である以上、「君はそもそも昔からそういう男だ」と、関係の履歴全体を参照して答えている。真田が現在の局面に懸けているのに対し、幸村はその局面をすでに知っている歴史の反復として処理している。
当然ながらこれは「俺も遠慮しない」という対等な応答ではない。相手の宣言を受け取って、それを新しい情報としてではなく、最初から分かっていたものとして言い換える操作である。相手の真剣な申し出を、自分がすでに知り尽くしている性質に回収することで、場の主導権を握っている。「今ここで自分の本気を差し出す」に対して、「そんなことは昔からだろう」——告白が出来事にならず、既知の属性として処理されている。
さらに《真田は》の《は》について。助詞の「は」は単なる主題の提示だけでなく、しばしば「少なくともこれについては」「これに関して言えば」という限定・対照の含みを帯びる。とりわけこの文のように文末に後置されている場合はその含みが強まる。すなわち《遠慮したことないだろ、真田は》は、直線的に述べるなら「真田について言えば、君は昔からそうだった」という意味であり、すると当然、語られていない残余が生じる。
この残余は「俺は違う(=遠慮したことがある)」ことを明示するわけではないが、少なくとも「君はそうだが、俺がどうかはここでは言わない」「俺は君と同じ水準では自分を開示しない」という差が立ち上がる。真田が全部出してしまうのに対して、幸村は出さない。その出さなさが、《は》によって文法的に支えられている。
さらにこの返答は、呼びかけの形式を微妙にずらしてもいる。真田の《幸村》は純粋な呼格だが、幸村の《真田は》は呼格ではなく統語に組み込まれた主題である。前者が相手に直接呼びかけているのに対して、後者は相手を文の中に置いて語る対象にしている。言い換えれば、真田は二人称の「おまえ」と向き合っているが、幸村は三人称の「真田」という存在を見て定義している。前者は接近の言葉であり、後者は認識の言葉である。この一往復だけで、真田が関係の中へ身を投げ出す側であり、幸村がその関係を一歩引いて把握する側であるという構造が示されている。
また、この応答にある軽いからかいの調子も非対称性を強めている。真正面から「俺も本気で行く」と返すなら、まだ相互性の気配がある。しかし《遠慮したことないだろ》という微笑的な応答は、相手の昂りを受け止めながら、それを上から撫でるような処理として響く。これは親密さの表現であると同時に、相手の情動を自分の理解の中に包み込む操作でもある。一方の中では「今、この瞬間だけ」の切迫した宣言であるものが、他方の中では「いつも通りの君」に還元される。その包摂に親しさと支配が同居している。
……といったように、このやりとりは二人の認識の質的な差異を短く圧縮しているものとしても読める。君の剥き出しの全力を、俺はとうに知っている——この知の優位性が、『for Yourself』の歌詞にも色濃く現れている。
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……みたいなことを言語化するまでもなく、アニメ版のこのシーンの声の演技からすべては明白なわけですが。
書いてみて改めて思ったけど、こういう言語化って非常に無粋でもある……批評とは無粋で野暮。でも書きたくなるから書く。