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・『黒色のオーラ』と『for Yourself』の歌詞(目次)


● 242
メモ:

①
《非情なる本気こそが 俺たちの勇気だから
 絶望さえ 恐怖さえも 世界の終わりじゃない
》

《絶望さえ 君は打ち砕いたのかい?
 恐怖を抱いた 自分にももう余裕はない
》

前者の文が言っているのは、絶望し恐怖してもなお世界は続く/自分は続く、裏を返せば絶望と恐怖の中にいてもなお終わらないでいられる……ということであって、絶望を《打ち砕いた》のとは異なる体験なのでは。

それにしても、恐怖を覚えて余裕を失した瞬間の人間はふつう《恐怖を抱いた 自分にももう余裕はない》などという三人称的・客観的な描写はしないよな。神の視点から冷静に自分自身の様子を観察している。この部分は原作でまさに三人称のナレーションとして書かれていた表現をそのまま持ってきているわけだが、一人称の歌詞の中に組み込まれると異化効果的な作用がある。


②《絶望の裏側に 夢の続きがある》——この《裏側》という空間的比喩は、何かを通過して反対側に出るという構造を持っている。絶望の内部を通過しなければ到達できない場所に夢の続きがあり、絶望と夢の続きは表裏一体である。やはり絶望を《打ち砕いた》のではなく、絶望は夢の続きの成立条件になっている。裏が砕けたら表も砕けてしまう。


③『黒色のオーラ』の歌詞には助詞の「は」が2回(リフレインを含めると3回)しか出てこない。対して「が」は12回(同14回)。

「は」は話者が対象を認識的に取り上げるという操作を文の表面に刻み、「が」はそのような操作を前景化しない。語る主体としての能動性は「は」の方に強く感じられるが、体験の強度としては「が」が勝る。「は」の話者は出来事を語ることを選んだ人であり、「が」の話者は出来事に動かされている人。歌詞全体の内容とも響き合う。
(上の《余裕はない》は、その意味でもやはり一歩引いた響きがある。)


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