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某出版社版の訳にむかついたのでシェイクスピアのソネット57番の試訳をした。
せっかくなのでSonnetさまに推敲などを手伝ってもらった。
むかついた理由はそのうち書くかもしれない、ダルかったら書かないかもしれない。
***
【原文】
57
Being your slave, what should I do but tend
Upon the hours and times of your desire?
I have no precious time at all to spend,
Nor services to do, till you require.
Nor dare I chide the world-without-end hour
Whilst I, my sovereign, watch the clock for you.
Nor think the bitterness of absence sour
When you have bid your servant once adieu;
Nor dare I question with my jealous thought
Where you may be, or your affairs suppose,
But like a sad slave, stay and think of nought,
Save, where you are how happy you make those.
So true a fool is love that in your will
Though you do anything, he thinks no ill.
***
【試訳】
57
あなたの奴隷であるこの身に、あなたの欲望の時間を
待ち侍ること以外の何ができようか。
あなたが求めぬ限り、私には費やすべき
貴い時など一切なく、果たすべき務めもない。
あなたのためにこの身が時計を見守るあいだの
果てしなく続くその時を、咎めることなど私にはできず、
あなたがこの僕(しもべ)に一度さよならを告げてしまえば
不在の苦さを辛いと思うことすら私にはできない。
あなたがどこにいるのか、嫉妬に駆られた思いで
問いただすことも、あなたの用向きを詮索することも私にはできず、
ただ悲しい奴隷として留まり、なにも考えずにいる、
ただ、あなたがいるその場所で、あなたがどれほど人を幸せにしているかということだけを除いては。
愛とはかくも忠実な愚か者なれば、あなたの意のままに
あなたが何をなさろうと、そこに悪など何も見ない。
***
補足。
《the world-without-end hour》は、終わりのない時間、永遠に続くかのような時間という意味だが、これはただ長いということではなく、相手を待っている時間が果てしなく引き延ばされるという主観的な感覚。「果てしなく続くその時」としたが、原文の 《world-without-end》という複合語の、世界の終わりすら来ないほどの時間という大げさでありながら切実な感覚は、私の日本語では再現しきれない…。
《my sovereign》は「わが君主」だが、訳文の流れの中で独立させず、「あなたのために」の中に吸収した。原文ではこの《my sovereign》が挿入句として置かれることで、ふと相手への呼びかけが漏れ出る瞬間が生まれていて、それが親密さと従属が入り混じった独特の響きを持っている…ので、本来なら「わが君よ」のような呼びかけを挟みたいところだが、日本語の文脈に自然に収めるのが難しく…。
最後の二行の《in your will》は多義的で、「あなたの意志のままに」という意味と、《will》がこのソネット集全体で性的な含意を持っている語であることの両方が響きあっている。シェイクスピア自身の名前Williamの略でもあり、自己言及的な多重性があるが、この多層性は日本語に移しきれないので、「あなたの意のままに」という訳でひとまず最も基本的な意味を取った形。
…しかしこの多層性こそが魅力であるわけで、詩を翻訳するという行為の限界を改めて痛感する…。
全体を通じてこのソネットの特徴は、ほぼ全体が「〜することもできない(Nor dare I)」の連鎖で構成されていること。話者が語っているのは自分が「すること」ではなく自分には「できないこと」の列挙であり、その「できなさ」の繰り返しから、逆説的に、感情の激しさが浮かび上がってくる。嫉妬を問いただすことができない、苦さを苦いと思うことができない……と言うことによって、問いただしたい嫉妬も、苦いと感じている苦痛も、すべてが否定形の裏側に透けて見える。
これは先日書いた「受動的な欲望を能動的な命令形に翻訳する」こととある意味対称的で、あの歌詞では受動性が能動的な命令形の裏に隠れているのに対し、この詩では激しい感情が否定形の裏に隠れている。どちらも直接には語れないものを語りの形式の裏側に宿らせている。
……だからこそ、この「〜できない」のニュアンス——強制的苦痛の受動性と不可分の甘美な官能性——を落としている訳にむかついた次第です。(むかつきポイントはそこだけではないが。)
Nor dare I=「そうする僭越が許されない/そうすることすらできない(主体性の剥奪)」を「しない(主体的/自発的な選択)」に訳すのは意訳を超えている……いや超えているどころか、とりわけこの詩においては致命的な誤訳だと思う。愛する相手に対して完全に従属しており、自分の感情や疑念を表出する権利すら持たない、という徹底的な従属の構造にこそこのソネットの核心はあるわけだから。
それにしても何度読んでも美しい詩だなぁ…。