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(2個下の投稿の続き)

某出版社版というかぶっちゃけ岩波文庫版のソネット集、58番の

《O, let me suffer, being at your beck,
 Th' imprisoned absence of your liberty,
》

を、

《指図にしたがう身であれば、きみが気ままに出歩いて、
 私は孤独の牢獄に閉じこめられているもいい。
》

と訳している…
完璧に美味しい料理に塩を振って味を損なう店なんて存在するはずがないのに、なんでそんなことをするのか…もったいないな

***

まず、《let me suffer》の構造が完全に消えている。《閉じこめられているもいい》の《いい》という表現では、話者が許容しているように聞こえる。「まあそれでもいいよ」という譲歩のニュアンス。

でも原文は《let me suffer》。しつこいようだが《let me》——つまり苦しむことの許可を懇願している。この差は決定的で、苦しむことすら相手に懇願しなければならないという従属の極限、そして苦しみからの解放を求めるのではなく、苦しむことを許してほしいという懇願の倒錯的な甘さが、この訳では跡形もなく消えている……。

《Th' imprisoned absence of your liberty》は直訳するなら「あなたの自由がもたらす囚われの不在」あるいは「あなたの自由という名の囚われの不在」あたりか。《imprisoned absence》自体が奇妙な結合なので、日本語でも「囚われの不在」と妙になってしまうが、原義から大きくは逸れない範囲で意訳を入れるなら、「獄のごとき不在」とか「逃れえぬ不在」とか、そういう意味合い。

要するにここでは、《your liberty》によって《imprisoned absence》が生じるという因果関係、あるいは二者が表裏一体であることが表現されている。

しかし岩波版はこれを《きみが気ままに出歩いて、私は孤独の牢獄に閉じこめられている》と、二つの独立した事態に分解している。これでは、《your liberty》と《imprisoned absence》が一つのフレーズの中で結合されているという原文の魅力が伝わらない。

原文では、「あなたの自由(liberty)」と「私の囚われ(imprisoned)」が対照をなし、あなたが自由であればあるほど私はその不在という牢獄に閉じ込められる、というパラドックスが表現されている。相手が自由であることが自分にとっては不在という監獄になる、という逆説の圧縮の美しさ。

それを二つの文に分けた時点で、相手の自由と話者の囚われが表裏一体であるという構造的な洞察が失われ、単に「きみは出かけていて、私は寂しい」という程度の叙述になってしまっている。相手が自由であればあるほど話者は囚われるという構造に原文の痛切さはあるのに。

そして《Th' imprisoned absence of your liberty》の結合の美しさは、それが単なる修辞的な技巧にとどまらず、話者の経験の構造そのものを一回の圧縮で言い当てていることにある。相手が自由であること、その自由が話者にとっては不在であること、その不在が話者にとっては監獄であること。この三つの層が不可分に折り畳まれている。相手の自由が直接に話者の囚われになるという、愛の従属の構造そのものがここに結晶している。


全体の構成。原文では《O, let me suffer》という懇願から、《being at your beck》という従属の現在の状態を挟んで、《Th' imprisoned absence of your liberty》という目的語に到達する。《suffer》の目的語が何であるかが、一行にわたって宙吊りにされた末にようやく明かされる。

そしてその目的語が 《Th' imprisoned absence of your liberty》という、抽象語の連鎖によって構成された、ほとんど概念的な彫刻のような表現である。「あなたの自由の、囚われの、不在を」。耐えさせてください(let me suffer)、と懇願した話者が耐えようとしているものの正体が、ここで初めて姿を現す。

しかも《your liberty》が最後に来ることで、話者の苦しみの究極の原因が相手の自由そのものであること、つまり相手が自由であること自体が話者にとっての監獄であるという、最も残酷な認識が最後の一語で明かされる。

そして《O》という感嘆。この一語が、それに続く全てに、知的な認識だけでは説明しきれない身体的な切迫感を与えている。《O, let me suffer》の《O》は、苦しみの叫びであると同時に、苦しませてほしいという懇願の吐息でもある。

岩波版の《指図にしたがう身であれば、きみが気ままに出歩いて、/私は孤独の牢獄に閉じこめられているもいい。》は、これらの構造のほぼ全てを失っている。《O》の感嘆が消えている。《let me suffer》の懇願が消えている。《imprisoned absence of your liberty》 の圧縮が分解され、二つの別々の状況の並列になってしまっている……。

***

(ここでは深入りしないが、《気ままに出歩いて》という脱臭された表現もどうなの…)

なるべく原文に忠実に訳すなら、
「ああ、どうか私に耐えさせてほしい、あなたに召されるがままの身に、
 あなたの自由がもたらす囚われの不在を」
…みたいな感じでしょうか…。
上述したように「囚われの不在」は日本語として不自然だけど、原文の《imprisoned absence》自体も奇妙な結合なので、この異化効果をそのまま残すのが自分は好みです。

私は別に熱心なシェイクスピアのファンでは全然ないんだけど、40年前から今に至るまで日本でもっとも読まれている文庫版の翻訳がこれかぁ……と正直思ってしまった。
この二行に限らず57・58番全体に色々言いたいことがある(そして多分点検したら他にもあると思う)が、そんな時間はないのでとりあえずこれだけ。
これ英語力とか翻訳センスの問題じゃなくて多分、従属の徹底性と不可分の甘美さというものを魅惑や快楽として感受する回路がそもそも訳者に存在しないことによるものなんだろうな…。


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