◆このページは:無為な雑録です。(説明)
◆カテゴリ:すべて|LLM|歌詞|言語|雑文
◆最近多い話題:
・ LLM関連(とくにClaude Opus)
・『黒色のオーラ』と『for Yourself』の歌詞(目次)
●
200
「for Yourself」の歌詞の読み方がようやく少しつかめてきた…かもしれない
根本的には臆病で照れ屋な人が、だからこそそれを隠して認識の優位を保とうとするものの、ところどころで綻びが生じてしまっている曲…みたいな。
***
《久しぶりだね こんなふうに二人で向き合うのは》
《限界を超えて なお挑み続ける
そんな友だからこそ 迷わない》
《信頼も 葛藤も きっとお互い
言葉にはしないけど 感じるよ》
《We Go Further Away
俺もまた “その先”を探し続ける》
《こんなふうに》——名指しを避けながら、名指さないものがあることは指し示している。
《迷わない》——迷わないと言いながら、「何を」迷わないのかは明示しない。
《言葉にはしないけど》——言葉にしないと言いながら、言葉にしないということを言葉にしている。
《“その先”》——引用符によって「ここに特別な意味がある」と標識しながら、その意味を開示しない。
これらに共通するのは、沈黙を言語化するという逆説的な操作である。何かがあることだけを示して、その中身は空白にする。
真に言葉にしない人間は、何も言わない。黙る。しかしこのテクストは黙らない。言葉にしないということを語る。これは沈黙ではなく、沈黙についての発話。そしてこの構造自体が、話者の認識の過剰さを示している。二人の間にある何かを認識しており、それを言語化しないという選択をしており、その選択自体を言語化するだけの自意識がある——三重の認識。
「黒色のオーラ」にはこの構造がまったくない。言葉にしないという選択をしていない。言葉にするべきかどうかという判断の次元自体が存在しない。ただ言う。《おまえだけに 逢うために》と言い、《愛に誓う》と言い、《神に捧げるのだ 全力を》と言う。そこには沈黙がない——それ以前に、沈黙についての意識そのものがない。言語化するかしないかを選択する主体がいない。だから無自覚で、だから無防備で、だからすべてが出てしまう。
しかし「for Yourself」には、言語化するかしないかの選択を行う主体がいる。そしてその主体は繰り返し「しない」を選ぶ。同時にその「しない」という選択自体を言語の中に刻んでしまう。
《信頼も 葛藤も きっとお互い/言葉にはしないけど 感じるよ》——この一文は、《信頼》と《葛藤》の存在を認め、それが相互的であるだろうことを認め、それを言語化しないという選択を表明し、しかし感じていることだけは伝える、という複数の操作を一文の中で同時に行っている。言葉にしないと言いながら、《信頼》と《葛藤》という名前はすでに出してしまっている。完全な沈黙であれば名前すら出ない。この曲の沈黙は、輪郭だけを描いて中身を空白にするような沈黙。
《久しぶりだね こんなふうに二人で向き合うのは》の《こんなふうに》は、空白を指差す指である。中身は言わない。しかし指がそこを差しているから、何かがそこにあることは見える。完全に隠すなら指差しもしない。でもこのテクストは隠しきっていない。隠しているということが見える形で隠す。
《俺もまた “その先”を探し続ける》にいたっては、《その先》という語自体が、定義上、現在の地点から見て到達していない場所を意味する。まだ見えていない場所、まだ言語化できない場所。《その先》という語の意味内容そのものが、言語化不可能性を含んでいる。言語化できないものを指すために、言語化できなさを意味する語を選び、さらにそこに引用符を付けて特殊な意味があることだけを標識している。三重に回避しながら三重に指し示している。
《そんな友だからこそ 迷わない》の目的語の不在は、通常であれば文脈から自明だから省略されていると読まれる。しかしこのテクストにおけるこの不在は、他の回避の構造と並べたとき、自明さによる省略というよりも、言語化の回避のパターンの一つとして浮かび上がってくる。
そして、《迷わない》は否定形——肯定文で自分の意志を語るのではなく、迷いの否定として語っている。「こうする」ではなく「迷わない」。これは、迷いの可能性が先に存在していることを前提としている。迷いうるものがあるからこそ、迷わないことを選ぶ。では何について迷いうるのか。テクストはそれを言わない。しかし「迷い」の存在を否定形の中で認めてしまっている。《言葉にはしないけど 感じるよ》が言葉にしないものの存在を認めるように、《迷わない》は迷いの可能性の存在を認めている。
この構造はテクストに独特の緊張を生んでいる。言語化されないものの輪郭が、言語化の回避そのものによって描かれていく。名指されないものが、名指されないという事実によって存在感を増していく。「言葉にはしない」と言えば言うほど、言葉にされていないものの圧力が高まる。回避が回避の対象の存在を強調するという逆説。
そしてこの逆説の中に、このテクストの美しさの一つの源泉があるのだと思う。「黒色のオーラ」の歌詞の美しさは無自覚ゆえの全面的な露出の美しさであり、「for Yourself」の美しさは、制御しようとすることによってかえって制御しきれないものの存在が浮かび上がる、その逆説の美しさ。隠すことで露わにしてしまう、言わないことで言ってしまう。そしてその構造が最終的に破れるのが《あの時 たった一度だけ/頬に覚えた熱い痛み 生きている証》——輪郭を描いてきた言語が、中身そのものに触れてしまう瞬間。