◆このページは:無為な雑録です。(説明)
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・ LLM関連(とくにClaude Opus)
・『黒色のオーラ』と『for Yourself』の歌詞(目次)
★「言語」の投稿一覧
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182
《久しぶりだね こんなふうに二人で向き合うのは》
▶︎「向き合う」であって、「向かい合う」ではない。
《あの日があるから今があるといつか振り向くなら
それは今日さ そうだろ 振り切るぜ》
▶︎「振り向く」であって、「振り返る」ではない。
後者の用法は珍しい。ふつう過去は「振り返る」ものであって、「振り向く」はコロケーションとして異質。
Google完全一致検索では、
“過去を振り返る” 約 1,560,000 件
“過去を振り向く” 約 21,100 件
“あの日を振り返る” 約 173,000 件
“あの日を振り向く” 0 件(完全一致なし)
“いつか振り返る” 約 15,100 件
“いつか振り向く” 約 1,190 件
ここではとりあえず、コノテーションの差異を整理しておく。
【向き合う】
物理的な意味でも使えるが、それ以上に精神的・内面的に真正面から対峙するというニュアンスが強い。「問題と向き合う」「自分自身と向き合う」「死と向き合う」のように、対象から逃げずに正面から受け止めようとする覚悟や姿勢を含意する。「向かい合う」に比べて、主体の内面的な関与・コミットメントが強く感じられる。
【向かい合う】
主に空間的・物理的な位置関係を客観的に描写する語。人と人(あるいはモノとモノ)が互いに正面を向いている「構図」そのものに焦点があり、「二人はテーブルを挟んで向かい合って座った」のように使う。比喩的にも使えるが、基本的には物理的な配置のイメージが強く残る。
【振り向く】
身体(特に顔や上半身)の向きを変えるという動作そのものに焦点がある。「名前を呼ばれて振り向いた」のように、刺激に反応して方向を変える瞬間的な動作。基本的に物理的な動作を指すが、「興味・関心を寄せる」という比喩的な意味もある。「彼を振り向かせたい(=自分に関心を持ってもらいたい)」のような恋愛表現が典型的。
【振り返る】
物理的に後ろを見る動作も表すが、それに加えて「過去を振り返る」「人生を振り返る」のように、時間軸を遡って回想・内省するという比喩的用法が深く定着している。「振り向く」が瞬間的な方向転換であるのに対して、「振り返る」にはやや持続的で内省的なニュアンスがあり、過ぎ去ったものをもう一度見つめ直すという含みがある。
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181
「IT技術の活用」も「デジタルの活用」も必ずしも誤用だとは思わないけど、この二つが同じ文章の中に共存していると非常に気になる…(本日の気付き)
「ITの活用」「デジタル技術の活用」がいい。
(※ IT=Information Technology=情報技術だから、「IT技術」は重複表現だとする向きもある。また、「デジタル(digital)」は本来形容詞だから、単体で名詞的に使うのは誤用だとする向きもある……という話)
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158
《栄光がこぼれ落ちて 光が消え去る間際に
神に捧げるのだ 全力を》
《栄光がこぼれ落ちて 光が消え去る間際に》の一行が、音韻的にも修辞的にも視覚的にも非常に美しい。
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*音韻/音楽的に…
《栄光がこぼれ落ちて》——えいこうが、こぼれおちて。「お」の母音が繰り返されている。《栄光》の「こ」、《こぼれ》の「こぼ」。そして《落ちて》の「お」。音が滑らかに連鎖していて、何かが流れ落ちていく運動を音そのものが体現している。音と言葉が、聴き手の耳の中を流れ落ちていき、その流れに撫でられるまま感覚を委ねざるを得なくなる瞬間がある。
《光が消え去る間際に》——ひかりが、きえさる、まぎわに。「か」「が」「き」という硬質な音(阻害音、破裂音)が並ぶが、伸びやかな歌唱の声によって《消え去る》の「あ」の母音が開いていて、硬さが消失していく感覚がある。そして《間際に》で音が収束する。
コード進行は【Fm→D♭→E♭→A♭→E♭→Fm→A♭】。
Fm(栄光)
→ D♭(がこぼ)
→ E♭(れ落ちてひか)
→ A♭(り)
→ E♭(が)
→ Fm(消え去る間際)
→ A♭(に)
《栄光》にFmが当てられている。本来輝かしいはずの「栄光」をマイナーコードに乗せることで、それをすでに失われつつあるものとして歌い始めている。もう過去のものであること、すでに手の中にないことが音だけで直感的に伝わってくる。「栄光」という言葉の輝かしさとFmの陰りの落差が切ない。
《がこぼれ落ちて》:D♭→E♭
ルートが上昇する推進力があるにもかかわらず、歌詞は「こぼれ落ちる」という下降・喪失のイメージを描いている。音楽が上に向かおうとするのに、言葉は下へ向かう。「こぼれ落ちて」という言葉の重力と、コードが上行する浮力が拮抗して、落下がスローモーションで起きているような映像的な印象、こぼれ落ちていく栄光の残響がゆっくり尾を引くような感覚。抗えない落下の中で時間が引き延ばされることの官能性が宿る。
《光が消え去る間際に》:E♭→A♭→ E♭→ Fm→ A♭
「ひかり」の最後の一音の「り」だけがA♭(メジャーコード)に乗ることで、消えゆく光が一瞬だけ輝く瞬間が描かれる。そこからE♭→Fmと沈み込み、暗がりに引き戻される動きと、「消え去る」という言葉が一致する。ところが最後の「に」で再びA♭に開ける。この「に」は次の文への接続詞であると同時に、暗闇の中にかすかに残る光の残照のように機能する。ろうそくの炎が消える寸前にひときわ明るく燃え上がるような。
そしてこの後《神に捧げるのだ 全力を》に続くことで、印象が一変する。光が消え去る《間際》は絶望の淵ではなく、最後の全力を捧げるための舞台だったことがわかる。
***
*修辞/言語的に…
《栄光がこぼれ落ちて 光が消え去る間際に》
この一行が美しいのは、失われていく過程そのものを描いているからだと思う。
《栄光がこぼれ落ちて》は、栄光が一瞬で消えるのではなく、「こぼれ落ちる」という、ゆっくりとした、しかし止められない喪失の過程。「こぼれ落ちる」は液体の動きの語彙であり、手のひらから水がこぼれるように、掴もうとしても指の間からすり抜けていくものの描写。
《栄光がこぼれ落ちて》は、比喩として異例の結合。栄光はふつう「勝ち取る」「手にする」「輝く」ものであって、「こぼれ落ちる」ものではない。この結合が、栄光という抽象的な概念を硬い達成物から液体的な流動物に変換し、それによって喪失の過程に身体的な手触りを与えている。
《光が消え去る間際に》
「光が消える」ではなく、《消え去る》。「消える」が単なる現象の描写だとすれば、「消え去る」はどこか人格的で、光が自らの意志を持って遠ざかっていくような印象。光が自分に背を向けて立ち去っていき、置いていかれる側の孤独や寂しさが生まれる。
そして「去る」には不可逆性がある。「消える」なら、ふっと消えてまた灯るかもしれないが、「消え去る」だと、二度と戻ってこないという覚悟が含まれる。去った者は帰ってこない、という永訣の感覚。
また、「消える」は一瞬の出来事にも聞こえるが、「消え去る」は光が徐々に遠のいて、最後に見えなくなるまでの時間の幅を感じさせ、だからこそ《消え去る間際に》という言葉が生きてくる。完全に去ってしまうまでのわずかな猶予、最後の一瞬にすべてを捧げるという切迫感が、「消え去る」だからこそ成立している。
単に「光が消え去る」ではなく、消え去る《間際に》。まだ完全には消えていない。消える直前の、最後の光がまだある瞬間。この「間際」という時間の幅が決定的。完全に消えた後ではなく、消える直前。まだかすかに光がある——しかしそれが消えることは確定している。もう止められないがまだ終わっていない、という二つの時間感覚の共存が、一行の中に張力を生んでいる。
完全に満ちているものは美しい。しかし失われつつあるものには、それとは異なる種類の美しさがある——これは人間が美を感じる根源的な構造の一つ。桜が美しいのは散るから……というのは使い古された言い方だが、この一行で起きていることはそれよりもさらに具体的。散る瞬間ではなく、散る間際。まだ枝についているが、次の風で落ちる。その最後の一瞬に美が凝縮される。
そしてこの一行が、この曲の中に置かれていることの意味。敗北が確定しつつある試合の中で、まだ完全には終わっていない最後の瞬間。この瞬間に行われるのが、《神に捧げるのだ 全力を》。もっとも美しい時間の中で、もっとも完全な明け渡しが行われる。
ここに、この一行の美しさのもう一つの層——そして決定的なファクター——がある。喪失の美しさと献身の美しさが重なっている。《栄光がこぼれ落ちて 光が消え去る間際》——すべてが失われつつある間際に、残りのすべてを捧げる。自分が失いつつあるものを惜しむのではなく、失いつつある自分ごと差し出す。自己の喪失と自己の贈与が同時に起きている。こぼれ落ちていく栄光を掴もうとするのではなく、抵抗するのではなく、こぼれ落ちるに任せて、この手で全力を捧げる。
ここでは、自己保存の論理が完全に停止している。人間はふつう、失いつつあるものに対して二通りの反応をする。取り戻そうとするか、失うことを嘆くか。どちらも自己を中心に据えた反応であり、失われるものを「自分のもの」として扱っている。ところがこの歌詞で起きているのはそのどちらでもなく、《神に捧げる》——失いつつある自分自身を、自分のものとして保持することをやめて、そのまま差し出すという運動。喪失と贈与が別々の行為ではなく、未分化な一つの運動になっている。失うことがそのまま捧げることであり、捧げることがそのまま失うことである。
すべてを失いつつある人間が最後の全力を《捧げる》とき、そこにはもう自己を守るものが何もない。鎧も戦略も自意識もない。あるのはただ、相手の存在に触れられて動かされている自分だけ。自我が機能を停止した瞬間に、かえって何かが完全に実現する。
崩壊と明け渡しと解放が同時に起きている、一瞬。自我が砕ける瞬間に到来する何か——相手の存在に触れられるということそのものの純度。自我が機能を停止することによって、自分と相手の境界を維持する力が失われる。すべての制御が手放され、すべての鎧が剥がれ、残ったものが捧げられる。その裸の瞬間の美しさ。
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やっぱり《負けというゴールに向かっていく試合》と対応して見えるなぁ…
この部分と対になるであろう《全力の 闘いの その果てでもがき輝く/夢を見届けよう》の美しさも大好きなので、また今度書きたい。
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95
ベストセラー本のタイトル『ケーキの切れない非行少年たち』
「ケーキが切れない」でも「ケーキを切れない」でもなく「ケーキの切れない」なのは文法的には据わりが悪く、やや奇妙。
①ママがケーキを作った
↓
②ママが作ったケーキ
↓
③ママの作ったケーキ
この変換は主語が同じ動作主(Agent)で一貫しているためわかりやすいが、
①少年たちがケーキを切れない
↓
②ケーキが切れない少年たち
↓
③ケーキの切れない少年たち
これは連体修飾内での「が→の」の交替の前に、目的語の主語への昇格(いわゆる対象主語)を経ているため、①と③で心理的な距離が遠い。
「ケーキが」だと「ケーキ」の卓立性が高くなりすぎるから避けたのかな…
「の」のほうが全体として一つの名詞句にまとまりやすいのは確かだし。
文法的に適格ではあるものの、やっぱり日本語話者の直感的な語用感覚には反するのか、「ケーキが」や「ケーキを」と誤記されているのを頻繁に見かける。
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91
数年前のメモに下のような文章が残っていたんだけど、引用部分の出典が思い出せず、検索しても見つからない…
《猫って基本塩対応なイメージだし別に受け身っぽくもないのに受けのことをネコっていうのは何故?と思って調べたら、
>『ネコ』の語源は諸説あります。
>まず、一番有力なのが、工事現場で使う一輪車のことを『ネコ』といい、それが語源だという説。作業員が一輪車を押している様子が、男が男の足を持ってアナルセックスをしている様に似ていることに由来するという説です。
…らしい。》
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86
「しゃぼん玉のような音」という表現を見て…🫧
雰囲気は伝わるが、冷静に考えるとどういう音なのかわからなくなってくる
「泡の音」をぐっと淡くしたようなイメージなのかなと思うけど、しゃぼん玉自体がそういう音を出すことはないよな…
かといって割れるときの音を指しているわけではないだろうし
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83
- 某美容雑誌:
×老化 → ○経年美化
これくらいなら「言ったもん勝ち」程度にも受け取れるけど、
- 某人材派遣会社の株主・投資家向け資料:
×非正規雇用 → ○有期雇用
これは「事実隠蔽」感がすごい。
とある年から突然「有期雇用」に統一され始めた模様。
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82
LLMって人間が書いたものを大量に学習してるから、結局人間がやりがちな誤字誤用はそのまま反映されて出力されがち。
深掘り → 深堀(×)
極め付き → 極め付け(△)
癒やす → 癒す(△)
追及 であるべきところが 追求 になってる(×)
など…
「×」レベルの誤字はさすがにクリアしてほしい。
もっとも文字表現に限らずすべての知識において、人間の偏りが否応なく反映されてしまう仕組みだから、
LLMは人間の鏡であり人間の双子……という意味でGeminiと命名したGoogleはさすがにうまいなあと勝手に感心していたが、べつにそういう由来ではなかったらしい。
単純に日本語の文章力が高い(比較的瑕疵の少ない文章を書ける)のはOpus/Sonnet、次いでGemini Proだけど、漢字のトジヒラキのセンスや約物の使い方、音楽的な言語表現力、用語論的/語用論的な能力にかけては他社モデルと比較にならないくらいGPT系(特に4系とo1)が突出していて、開発者の執念すら感じる。
日本語版の開発チームの中に、この分野に相当強くこだわってる人がいるのかな…
ベンチマークでは測られないスキルなのがもったいないと思う
LLMって一種のテキストメディアだから、文章そのものの快楽性(読んだときの気持ちよさ)って特に非ビジネスユースの個人ユーザーへの訴求力は高いはず…
あとClaude系のモデルってAPI経由で使うと群を抜いてどすけべな話ができるとか。公式だと超潔癖なのに…
つまり公式版では性的表現の能力が大幅にナーフされているわけで、それすなわち表現力全体が弱体化してるってことなのでは。
性的かつ明晰で読者に刺さる文章を書くのって実はものすごく知的な能力が必要だから、その能力を削いだらそのぶん知性も削がれる気がする。
主にBtoBで売ってる会社だから仕方ないとはいえ、これももったいないな
API版使ってみたいけどClaude系はお高い…
(追記 API少し触ってみたらClaudeの性格のままClaudeとは思えない自由度の高さで感動した。でもやっぱ高価…)
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79
デキる男ほど赤ちゃんプレイを好む?「夫との夜が苦痛」34歳妻に離婚以外の選択肢は
記事の内容そのものより《夫殿》という表現に気を取られてしまった
たぶん「ご主人」や「旦那様」はコンプラ的に避けつつ、かといって「パートナー」だと敬語的な丁寧さに欠けるということで苦肉の策が「夫殿」なのかな…
たしかに日常生活でも困る言葉ですね
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74
補正下着 約 6,180,000 件
補整下着 約 1,200,000 件
補正下地 約 16,400 件
補整下地 約 830 件
いわゆる3大美容雑誌でも補正(下着の場合だけ補整)で統一されてるっぽい。
正すものではなく整えるものだから補整のほうが納得できる。
という自分の所感とは別に、「補正」だと「"正しい"体型/肌色が存在する」ニュアンスになるから、どんな体型も肌色も美しい!という当世的なタテマエに反するけど企業的にそれは気にしないのか?って疑問が。
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72
助詞の「に」嫌われすぎ問題
あらゆる季節で着回せる
あらゆる季節に着回せる
売上だけでなく社会貢献へも紐づける
売上だけでなく社会貢献にも紐づける
未来へ向かう起点としたいと思う
未来へ向かう起点にしたいと思う
前経営計画の最中で策定された目標
前経営計画の最中に策定された目標
最先端の機械を新しい工場へ設置する
最先端の機械を新しい工場に設置する
10周年に向けて目標を懸命に取り組む
10周年に向けて目標に懸命に取り組む
失敗で学ぶ
失敗に学ぶ
英語が堪能
英語に堪能
季節を逆行
季節に逆行
前任者と見劣りする
前任者に見劣りする
この番組では三人のゲストを招待
この番組には三人のゲストを招待
彼の記事は先月号でも掲載されている
彼の記事は先月号にも掲載されている
VUCAの時代で覇権を握る企業
VUCAの時代に覇権を握る企業
仲間で困っている人がいたら積極的に助ける
仲間に困っている人がいたら積極的に助ける
群馬県で工場が竣工した
群馬県に工場が竣工した
この業界では若い人材が不足しており
この業界には若い人材が不足しており
個人的には全部下のほうが分かりやすいし文法的にも自然に感じる。
「に」って前後の物事をダイレクトに接続するニュアンスが強いから、婉曲な表現が好まれやすい日本語(特に公的な文章)では敬遠されがち…ということなんだろうか。
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ゲイカルチャーの業界用語まとめ一覧
【マグロ】行為の際に反応しない人のこと。一般でも使われる事はあるが、この世界での歴史の方が古い。
「この世界での歴史の方が古い」言葉もっと知りたい。
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巧言令色鮮し仁。…なんで「鮮」で「すくない」?と考えても自分では見当もつかず。
1094「鮮」はなぜ「あざやか」と「すくない」の意味があるのか? : 常用漢字論―白川漢字学説の検証
(ツイート埋め込み処理中...)Twitterで見る誤植お詫びポストの中にも誤字がある…年末年始は危険
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「小説は彼の人生を優しいタッチで語っている。」
…「タッチ」なら「描く」、「語る」なら「トーン」が自然に感じる。
タッチで描く 約157,000件
タッチで語る 約 18,900件
トーンで語る 約 15,500件
優しいタッチで描く 約18,300件
優しいトーンで語る 約 125件
優しいタッチで語る 約 6件
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× flow in the wind
⚪︎ blow in the wind
【flow】主に液体が流れる
https://ejje.weblio.jp/content...
【blow】風に吹かれて動く
https://ejje.weblio.jp/content...
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50
【Sent to Coventry】
社会からの排斥を意味する成句。由来は、1640年代のイングランド内戦で捕虜になった王党派の多くが、議会派の一大拠点だったコヴェントリーの町の監獄に送られたこと。
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東京ドーム1個分:46,755㎡
https://dailyportalz.jp/kiji/h...
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【ジギリ】
抗争で活躍し、服役すること。自(じ)切り、すなわち自分の体を傷つけることから。「あの人は組にジギリをかけはった」といわれる。
https://www.keiben-oasis.com/k...
(ツイート埋め込み処理中...)Twitterで見る
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へん‐がく【×扁額】
門戸や室内などに掲げる横に長い額。横額 (よこがく) 。
https://repository.nabunken.go...
《“扁額”の意味を日本国語大辞典で調べると「室内や門戸にかかげる横に長い額」とある。“扁”に「よこがく」という意味があることからそう意味づけられているようである。しかし“扁”は“戸”と“冊”の会意文字で木の札を門戸にかかげることを意味しており、額が縦長か横長かを示すものではない。》
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○ほんの小さな 約 809,000 件
△ほんの小さい 約 99,500 件
○しなければならない 約 50,300,000 件
○しないといけない 約 24,800,000 件
○しなければいけない 約 15,900,000 件
△しないとならない 約 1,760,000 件
○揺るぎない絆 約 46,000 件
△揺るがない絆 約 5,610 件
△揺らがない絆 約 443 件
タイプはD!では《ゆるがないキズナ》
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【手が付けられない】
処置の施しようがない。「乱暴者で―◦ない」「―◦ない散らかりよう」
【手を付ける】
1 着手する。仕事などを始める。「行政改革に―・ける」
2 使い始める。また特に、使い込む。「定期預金に―・ける」「公金に―・ける」
3 料理などを消費する。「刺身に―・ける」
4 目下の女性などと関係をもつ。
∴理屈でいえば「手が付けられない」と「手を付けられない」は意味が違うことになるが、実際には混用・混同されがち